別館PCチラシの裏日記帳 第2章

世界一!長ーい記事のブログを目指していますw

ノートPCの語源98Note??

パソコンこぼれ話Vol.1
Noteパソコンの語源は98Note(既にSSDの様な物?(^^;を搭載!(RAM DISK)
時は1989年(平成元年)80s'の終盤にして画期的そして衝撃的なパソコンが登場したのです!!
それまでPCと言えばCRTタイプの大きなデスクトップPCかモバイル用途ではワープロ専用機を使う人もいましたがラップトップパソコン(海外では今もこの呼び名です)一応開閉式でしたがその大きさは尋常ではありませんでした(^^;
98互換ラップトップパソコンと言えば?CPUにV30搭載のPC9801LV(2 FDD)や完全互換ではない98LT(V50)が等がありましたが、VL LT以外は高価でした。
そして、登場したのは98Noteでは有りません(^^; NECのライバルの東芝からDynaBook J-3100ssが登場してその大きさに驚きました。
IBM PC/AT互換機(WindowsPCの前世)であるノート型PCなのです、会社に購入した方がいて「いいなぁぁ~」と思っていましたが...良いのはそのスタイルだけ、私の使っていたPC9801とはソフトの互換が無いことから購入を控えていたのです。
やはり、「98用Lotus 1-2-3」や「一太郎」が使えないしATOK慣れしていた当時はどうもPC/AT互換機自体が取っつきにくかったですね。
あと、PC/AT機は日本語に弱い事もあげられますDOS/V環境だと日本語処理をソフトウェアで行うため日本語環境ではモッサリしていて好きになれませんでした。対して98の場合日本語処理は専用のカスタムチップで行うハードウェア式だったのでスクロールが速いしキビキビしていました。
後にそのカスタムチップがPCの価格を押し上げてしまう要因となりWindows時代になるとそもそもがソフトウエアで処理を行いますのでCPUの性能が上がってくるともはや98もPC/AT互換機も言語による速度差なんて無くなります。じゃ安い方が良いよね?となってカスタムチップのせいで割高だった98(9821)が衰退していきます。
DOS/V機(PC/AT互換機)が海外からドンドンやってきてPCの価格が下落していき同時に自作PCブームも到来してOC等出来る楽しいパーツも多数有りずいぶん楽しまさせて頂きましたw
※Lotus1-2-3」は元々PC/AT互換機用で98にも移植された。
DynaBookがノートパソコンの元祖という人もいますが何処にもNote何て言う言葉は使っていません?名称からしてBookパソコンと言う人はいましたね。
もし当時国内シェアNo.1のPC9801が98Bookと言う名称だったら?今頃はきっとNotePCでなくてBookPCになっていたに違いありません(^^;
メーカーに寄っては「ノートブックパソコン」とか言っている所も有りました、どっちだずw(^^;(どっちやねん)
 
98互換機が有った!? EPSON286/386/486シリーズ
調べてみたら、世界初はEPSON PC286NOTEがDynaBookより発表は先のようですが発売は後になったので日を浴びることは有りませんでした。
第一DynaBookの価格が\198,000に対してEPSON 286Noteが\458,000...コレでは太刀打ちできるわけ有りませんよね(^^;
追い打ちを掛けるかのように僅か1ヶ月後には元祖98Noteが世に出てきて、当時は人気歌手の大江千里を98Noteのメインキャラクターに採用してテレビCMもかなり頻繁に流れていましたし、こちらも定価\248,000と言うリーズナブルな価格でした(実売は20万前後)
そんな訳でしてホントの世界初ノートPCは幻になり世間に知られる事も有りませんでした.....(^^;;
ただ、「oh!PC」等のPC98専門誌にはデカデカ広告は載せては有りましたけどね。
Epsonの286~486シリーズに関してはご存じの方もいると思いますが、PC9801互換です。
Windows95以降のエンデバーシリーズのBTO PC以降はPC/AT互換機に覆しています。
実は元祖よりも先にNoteと言う名前を使っているのですね。
EPSONが唯一PC9801互換PCを製造販売していましたが、魅力は元祖98よりも一歩先行く高性能CPUを搭載するなど、デスクトップPCでは大変魅力的な物は有りましたが、発売当初BIOSが著作憲法違反と言うことでNECに訴えられたと言う経歴も有り、一番不味かったのはPC98に付いている要らないオマケ、そう!ROM BASIC(N88 BASIC)迄付いていた事、PC9801を買うとも一つオマケにDISK BASIC迄付いてきていましたね、使わないのに....(MS-DOSを付けてくれた方有りがたかった)
※但し、アマチュア用途でRBBS等 N88BASICを元に開発した例も多数有ります。
上記事情によりPC98用のMS-DOS(基本OS)等にはEPSONガードが施されており(NECの仕業ですw)、素では動かないようになっていました。EPSONから配布されているパッチで解除してから使用するという一手間は掛かりました。
ソレさえクリアすれば、マンマPC9801としてしかも元祖98よりもやや高性能なPCとして動作するため程々の人気はありましたね。
※但し、Windows3.1以降NEC PC98用のWindowsは使用不可能になりEPSON向けのWindowsは別途販売されていました。
現実的には値段がやや高くても元祖NEC PC9801シリーズを選ぶ方の方が大多数ではありました。
私もNEC PC98派でEPSON機は1度も使っていません。但し、リーズナブルなパソコンが欲しいの..と言う方にはEPSON機を薦めては居ました。
何故PC98で無いと行けないのか?それは「ピポォ♪」と言う起動音が出ないのは嫌だから....
それだけの理由ですw(^^;; 「ピポォ♪」はvm辺りから付いていたのかな?
勿論、下に出てくる98Noteシリーズでもチャンと鳴ります(^^; 今使っている自作PCにも付けたいなぁ...w
98から自作PCに切り替えた時(95年頃)PC/AT互換機の「プッ!」を聞いた時ガッカリしました(^^;
ま、98よりも自作機の方がWindowsを使用した時の安定性は感動物でしたけどね。
EPSONもPC98互換を武器に変わり種PCも多く発売されてEPSONが一番得意分野で有るプリンターを搭載したラップトップパソコンが発売されて「ワープロなのか?PCなのか?」コンセプトがハッキリしない製品もありました。こちらも286Noteと同じ運命.....になったとさ....(不発w)
ただ、最大手のPCメーカーであるNECとは違って、Note型PCのコストダウンをする技術も乏しかったEPSONは2FDDタイプの普通のラップトップパソコンでは割と健闘していたのでは?と思います。
モバイル運用では無く移動できるデスクトップPCと言うスタイルは需要が有りましたからね。
 
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初代98Note(PC9801n)
スペック
CPU              V30(10MHz)8086互換
メモリ   640KB
ストレージ 1.25MB FDD互換RAMドライブ搭載
      1.25MB FDD
モニタ   640x400 8階調ブルー(モノクロ)
                     駆動方式STN (ELバックライト)
その他        東芝DynaBOOKから先を越されてしまったが待望の   
      PC9801完全互換の小型PCとして人気を博した。
 
98NoteにはSSDが付いていた?(RAM DISK)
「早くPC9801のBOOK型パソコン出ないかなぁ~」と切に望んでいた所、望むまもなく出たのです!PC9801の完全互換の98Noteこと「PC-9801n」が!
これぞ現在のノートパソコンの語源といえる物では無いでしょうか?(EPSON 286Noteが先だが不発)
大江千里が出演していた98NoteのCM
https://www.youtube.com/watch?v=xbMyzSyYsfQ
https://www.youtube.com/watch?v=nkMdADXzJzg
https://www.youtube.com/watch?v=NI9KAnCAe1o
当時お値段もPCにしては破格の売値が\20万程度(定価は\248,000)という価格に引かれて即購入しましたね、EPSONの互換機よりもかなりお安かったというのも衝撃的でしたが、驚いたのはその小ささ、今いじっているチンコパット(^^;X240より小さかった様な気がします? ただ、パーツ自体重かったので重量は2.9Kg(ThinkPad X240 2台分)もありましたけどね(^^; 小さいけど厚みはありました。
PC98シリーズでNote型は初めてで持ち歩くとCMの様な??「羨望のまなざし」でみんなに見られてその画面に皆さんデスクトップの98で使用しているお馴染みの表計算ソフト「ロータス1-2-3」の画面が表示されると「おぉぉぉ!!すんげぇぇこんな小さいのにロータス動いてる」という歓声が上がったほどです(笑w
女の子から「ひろりん7号機さんすてきぃ❤」何て言われましたねw
嘘こけw
普段から「パソコンオタク」として女性からは冷たい視線は感じました(笑w
珍しいノートPCを持っていただけで「オタク」扱いされる時代でもありました。
あ、勿論仕事でも活用していましたよ!
それに、98Noteにはもう一つの特徴が...それはRAM DISK(RAM DISKもSSDの一種です)を搭載していた事!容量はFDD互換の1.25MB(GBでは無いですよw)で大変しょぼいものでしたが、今で言うSSDのような物が既についていたことは驚きですよね!使い方は今と一緒なのですMS-DOSのシステムとアプリをRAM DISCへデータは今で言うとHDDですが、当時はデータ側をフロッピーDISKと言う使い方をしていました。
当時は如何に1.25MBの限られた領域にアプリを詰め込むか?試行錯誤をしていました。
RAM DISKの利点としてやはりOSやアプリの起動がフロッピーやHDDに比較して桁違いに早い事でした、考え方は概ね現在のNANDを使用したSSDのシステムと同様ですね。

※性能に関してはRAMでもバスの関係上現在のSSDの足下にも及びませんw
※初代DynaBookJ3100ssにもRAMDiskは搭載されていたようです
 
ただし、RAM(揮発性メモリ)ですから常に電源を供給しないと消えると言う欠点がありバックアップバッテリーも気にする必要がありました。RAM DISK上にはデータは置かない様に気をつけていたと言うこともありましたね。
ただ、元祖98Noteの場合V30と言うCPUの弱さがSSDの足を引っ張っている感じではありましたが....
RAMドライブも欠点が有りプロテクトが掛かっているPC98特有のエロゲ(^^;;等はシステムはコピーできない欠点がありWIZARD98でコピーを試みたりしましたがダメでした(つまり厳密に言えば完全互換では無いのです)
プロテクトの掛かっている2ドライブ対応のゲームソフト等では対応不可能でした。
そもそも、そういうゲームはカラー画面でやる物なのでエロゲ目的の場合98Note何て選びませんw(^^;;
移動先でもエロゲwの方は、ソレこそEPSONの98互換の2ドライブなラップトップPCがお似合いでした(^^;
386SX搭載の98Noteの後継機98NoteSXでは遂にノートPCに32bitCPU(i386SX)を搭載してHDDも搭載できるようになり(80MB)、もうアプリの制限も気にする必要もなくなりました。
大容量のHDDですが、やはりアクセス速度はRAM Diskには敵う物ではありません。
勿論、後継機でもRAM DISKは搭載されていましたがHDDが有るのでRAM DISkの領域はストレージとしてでは無く拡張メモリ(i386搭載機ではプロテクトメモリにも対応)に割り振りした方がこの頃肥大化したアプリには有効なのでそのような使い方に変わってきました。
 
 
私の2台目は98Note NS/Tで、対にHDD付きのNote PCを手に入れてワクワクしながらWindows3.0 を入れたら???
「重!!!」とても使えたものでは有りません(^^;
当時Windows3.0を快適に動かすには、かなり高いハードウェアのパフォーマンスが要求されていたので一部のマニア以外は先ず使用しませんでしたね。
世の中も未だWindows 時代ではなくMS-DOSのアプリが主流、DOSアプリを使う分には386SX は快適でした。
最先端???のWindowsは諦めてψメニューと言うフリーソフトをベースに入れたいソフト詰め込んだりカスタマイズを楽しみましたね。
パケット通信で使う画像データも有ったのでHDD 80MBでは何時も容量不足で困ってました。
98純正の周辺機器は高かったのでICM,緑電子、メルコ(Buffalow),I/Oデータ,TEAC等のサードパーティ製でお安く済ませていました。(コレが一般的)
NS/Tで感動したのは今では当たり前に付いているノートパソコンならではの機能「レジューム機能」です。
この辺辺りからレジューム機能は付いていると思いました、作業中蓋を閉めると自動的にスタンバイ状態になり開ければ内容を保持されたままアプリが継続使用できるという事に感動したのです!w(コレが当たり前の時代では無かったんです)
※その98NS/Tをコジコジさんが紹介されていました。
いやぁぁ~動いている98NS/T見たのは久しぶりです!GJなのです(^^)
初代98Noteから比較してCPUの高性能化や2.5inc(カートリッジ式)HDD搭載可能等大変大きな進化をしたために・・・筐体は厚くなってしまっていて初代98Noteのスレンダーなボディが台無しになってしまいましたね。
その為初代98Noteに準ずるV30HLを搭載したスリムな98Noteも併売されていました。
一太郎のVer.4.2」の起動画面なんか凄い懐かしいですね!
一太郎もこの4.3(Ver.4.2はバグ持ちでジャストシステムから修正DISKを無料配布された経緯がました)からEMSメモリなどが無いとまともに動かないとか「激重アプリの走り」でもありましたね。初代98Noteでは動作困難でそれ用にLite版も出ていましたね。
 動画のDESKMateもチョット使いましたねぇ(糞でしたがw)私は「ψメニュー」の方がフリーなのに高機能なのでそちらを使ってました。
ノートでは無くデスクトップの環境下ではHSB等のリブートソフトと併用してWin3.1や後に出て来たWin95と98DOS環境の切り分けをして使っていました。
実は、Win95が出て来ても未だ未だ98DOSは必要で私の98NoteNS/TはWindowsXPが出る頃までは現役で稼働していました。
それにNS/Tのキーボードが非常に優秀でテキスト入力用PCとしても重宝していました。フロッピーが徐々に無くなりUSBメモリに置き換わる頃知人に譲ってしまいましたね。
今思えばノートであのキーボードより出来のよいPCは出会った事がありませんw
 
98NoteNSはCPU交換も一時流行っていた!
現在のノートPCもソケット式のCPUで有ればTDPを見極めた上でCPU交換が出来て一部のジャンカーの間で横行していますが、CPUを交換してPCの性能UPを目指したりオーバークロックだってPC98の世界でもかなり横行していましたね。
CPU OCに関しては今みたいにPLL式では無くクロック精製用の水晶発振子を交換したりそれに準ずる同期も必要で当時はかなりマニアな領域です(^^;
 しかしインターネットも無かったのでNiftyのフォーラムやアマチュア無線パケット通信又は、一部のマニアックなPC誌を見ながらの作業になります。
図解は?下でも触れているとおり画像通信は未だ実験段階一部jpg形式でUPしてくれる方も居たかも知れませんが現実的では無く何と・・今でも某巨大掲示板で見かけるAA(アスキーアートw)で概略を説明する程度です(^^;(それでも何とか理解できた不思議)
CPU交換はNS限定だったのかなぁ?CPUはソケット式では無くてママン直付け!(^^;
それを交換していたんですからね(^^;;Cylixなどのi486互換CPUと交換するのです。
それに寄ってメモリ増設を併用すればWindows3.1等は(一応)使用可能となる訳なのですhi
直付けCPUと言っても当時の物はPINピッチも今と比べれば広かったので半田ゴテ(半田盛り式)だけで(私はドライヤーは使わなかった)も至難の業かも知れませんが出来ました。
手持ちのNS/Tは386SLでIntelNECが共同開発したカスタムCPUで交換は出来なかったので98NoteNSを別途入手して楽しみましたね(^^;
 
98Noteでモバイル運用の夜明け しかし、「オタク」の時代?
 モバイル運用で問題になるのが、何に繋ぐの?ですよね?アナログモデム経由で携帯電話で送るのか?とんでもございませんw
携帯電話は平成元年頃だと、平野ノラがオブジェで持っているアレですょw(^^;「しもしも~...」居ましたそう言う方w(^^; ハンディタイプでは無くショルダー式の携帯電話です!新製品でドデカいハンディタイプも有ったかな??
しかも本体価格もさることながら、通話料金も今の携帯のプランとは比較にならないほど高額、数秒で10円とか.....そんなのでデータ通信なんて出来ますか?(^^;
それに昔のアナログ携帯電話(FM変調)は簡単に盗聴されてしまうデメリットも有り、普通のアマチュア無線機器で有るコマンドを打つだけで携帯やパーソナル無線で使用されている800MHz~900MHZ帯も受信できてしまう物さえ有りました。
お家に居れば有線のパソコン通信でNiftyServe やPC-VANの利用出来ますが外に出れば?超高額な通話料の掛かる携帯電話で繋ぐ事になり先ずやっている人は見た事有りませんでした。
商用のサービスはお家でもお金は掛かる物(現在のインターネット接続サービス並だが通話料は従量制)
テレホーダイを狙ってアクセスするのがトレンドでしたね。
もう一つの手段としてISDNの灰色電話って知ってますか?公衆電話でもデータ通信が出来る物も有ったんですよね、ここからNiftyや会社のサーバーにアクセスしてデータを転送すると言う事も一応可能でした。
そんな当時でも無料でしかも携帯+アナログモデム何かよりも高品質なデータ通信が出来る手段が有ったんです!それが、アマチュア無線パケット通信網です、NET-ROMやK-NODE等で一応全国をカバー(安定性はイマイチでしたが)していて転送型のRBBSも有りこちらは確実に全国転送できます。
世間は、携帯電話は未だ高嶺の花で野外でメッセージを伝える手段としてポケベルでシコシコしている時期に野外でも漢字を含むフル文書だけで無く無理すれば?(^^;写真まで送れる手段が既に存在していた事も驚きだと思います。
私は98NoteとTNC(ネットワーク接続機器)それと小型ハンディトランシーバーを持って街の中をウロウロしながら電子メールや近くのRBBSを利用して実況中継(faceBookライクな使い方)をしていたこともありました。
「あいつ何やっているんだ??」的な目線がありジロジロ見られましたが、気にしないでやっていましたw
世間からは「無線&パソコンオタク」的な目で見られていて、特に女性からの受けが悪く、お付き合いする時は絶対に無線とパソコンの話はしないように気をつけていました(^^;;w
曲名は忘れましたが当時、中村あゆみのアルバムに入っていた歌の中に....「やっとの思いで彼を見つければ、取って置きの趣味と特技はファミコン、パソコン、マザコン~♪」コレを聞いた時は「ドキッ!」としましたね、俺のことか?と思ってしまいましたねぇ(笑 ファミコン、パソコンは該当しましたがマザコンは有りませんでしたハハハ(^^;
写真はアマ無線パケット通信網とPCを繋ぐためのターミナル(TNC)です、TNCも電池駆動が出来る物も少なくコレが写真TASCOのTNCμ21でしたリチウム電池を内蔵していて電池駆動も可能でした。
イメージ 4
コレも結局液漏れを起こして数年で壊れましたw
画像の閲覧可能なターミナルソフトも存在したので山頂からの景色を送る実験もしましたね、ただ写真を送るには?デジカメも無い時代ですから今も話題の「チェキ」(インスタントカメラ)が大活躍w 車に戻って写真を小型スキャナでスキャンして転送容量に限りが有るため98用の画像編集ソフト(Z's Staff)で加工してから送ると言う大変手間のかかる作業でした。
場合によってはISHファイルに変換して画像を送る場合も有りました(GIFやJPE)
こんなのね↓(^^;
<<< ldz.lzh for MS-DOS ( use ish & LHarc ) [ 57 lines ] >>>
!!!?!/9Q!4"P"H3x<Q-E!C$oXTQ~!&"HPX^u_M!!!!uqT453'K!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!JFBn
!!!?!/9Q!4"P"H3x<Q-E!C$oXTQ~!&"HPX^u_M!!!!uqT453'K!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!JFBn
!!!?!/9Q!4"P"H3x<Q-E!C$oXTQ~!&"HPX^u_M!!!!uqT453'K!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!JFBn

98Note初期型はモノクロ画面だったので送るのはカラー画像なのに「こんな物でいいかな?」と適当に編集をして下界に戻ってカラーモニタで画像を見たら「アリャ?」とか、大失敗もありましたがw
ただ、カラー写真と言っても98の特性上16色制限が有りましたので画像は非常に粗く離れてみると「成る程ね」程度の表現力しか有りません。
当時はカラー写真をたったの1200bps(1200Kbps(1.2Mbps)じゃ有りませんよw)つまりですよ...何と!スマホの通信規制の128Kbpsの1/100の鈍速(^^;で転送するわけですから幾ら低画質な画像を送るにしても10分以上掛かります。
丁度こんなイメージ(ももすけさんの動画)↓
※コレでも遅く感じるかもですが・・こんなにパケット通信の場合速くありません(^^;
パケット通信の場合は、強力なデータ補正機能がある為中抜け現象は絶対に発生しません。(その分遅いですけどねw)無手順方式と違ってデータ欠損が発生しない為転送型のRBBSでも無劣化で全国いや、全世界に画像が送れるのがパケット通信の売りとされていました。有線の商用ネットでは希にデータ化けが起こりましたが、パケットはコレが無いのです。但しですね、DXTERMと言う画像通信機能付きのターミナルソフトを使用してリアルタイムで画像を受信するのにモノクロで10分-カラーで20分位かりましたw(^^;まあ時間が掛かるのは通信速度以外にも無線は半二重通信で電話と違って一方通行で1パケットを送る毎に確認信号を送る為に更に時間が掛かるという・・
そして・・回線が切断されると又1からやり直しですw(^^;
又画像転送には当時にしては膨大なデータ(現在では屁みたいな容量w)を送る為、画像転送間、その周波数を占有するために画像通信とは関係の無いユーザーからRBBSが使えない!等のクレーム等トラブルも耐えませんでした。
況してや、山頂からの運用だと幾ら送信出力を絞ってもその影響は広範囲に渡ってしまいますからね。
RBBSでは実は私も関わっていましたが、「画像転送問題」迄勃発してRBBSで全国的に議論されて、とある転送型RBBSではこれ迄フリーソフト、画像データ等「ユーザー任せ」で運用されていましたが、ホスト側のソフトで「1メッセージ5KB制限」を掛けたり周波数の公平な使用が促されました。
 
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それでも私は「それなら」混雑している430MHz帯を避けて一挙に九州まで転送できる21MHz帯のPSKモードで画像転送の実験をしたりもしていました。
バイナリデータ禁止のRBBSを介さずにバイナリで直接画像を転送実験した模様は相手が「CQ紙」のライターの方で一寸ビックリしたのですが「CQ紙」に取り上げられていました。
今では、モバイル通信網も発展して端末のスマホのカメラ性能も格段に進歩していますのでこの様なこ事もスマホ1台で誰しもが楽しめる良い時代になりましたよね。
今はスマホで誰しもがやっていることですが、当時は「パソコンオタク」がやる事とされていて軽蔑の眼差しで見られていたに違いありませんw
写真は正に私が使用していたタスコ電気のPSKモデム「PSK-1」とターミナルノードコントローラー(TNC)「TNC-20H」ですが、コレもねぇ...日本製のくせに粗悪コンデンサを使用していて液漏れでお釈迦になった方も多いのでは?
TNC-20Hはインターネットも普及し出した1996年頃1度ニチコン製のコンデンサに総入れ替えして使っていました。その後は、暫く自宅の押し入れに眠っていましたが未だ動く内にヤフオクで処分しました、懐かしいですね。
アマチュア無線には画像を送る手段としてアナログ式のSSTV何て言う物も有り、こっちの方が当時の技術では簡単!高画質!という落ちも有りましたが、デジタル方式で送る事に意義が有ったんです!(^^;;
大体アナログでは無劣化で全国へリレー中継出来ないでしょ??
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自分で勝手にネット回線開設!?(K-NODE)
その他、カントロニクスのKPC-4にPSK-1を改造して繋いでヒッソリ430MHz帯-21.109MHzのゲートウェイを開設して430MHzを通して21.109MHzにもアクセス出来るようにしていました。モバイルで九州や中国地方とチャットや遠方のRBBSにアクセス可能でした。
Eスポが発生すればHFのHighバンドではVHF帯と違って長きに渡って4-6エリア(四国、中国、九州)ガンガン入るので下手すれば430MHzよりも安定してデータ通信が可能でした。
ローカル局からは何でこの周波数430MHzなのに九州局が見えるんだよ!な事は起こりましたが、ちゃんと説明して他の人にも勿論解放してます。(K-Nodeと言います)
私以外にもUSERの方の中にはコレを使用してフリーソフトや画像を転送したりする方も居たので夏場には中継に使っていたHFの無線機のファイナルが飛ぶトラブルも発生したり大変でしたw(^^;(修理代んー万円は自腹)
自分で勝手にネット回線を開設するなんて今の時代考えられませんよねw(笑
過去の投稿記事↓
無線ラックの中頃にある白いのがKPC-4+PSK-1のゲートウェイシステムです。
お察しのとうり実は某FWD-RBBSのホストでも有った訳ですw
※勿論アマチュア無線の免許の範囲内での運用ですので法的には問題ないのです。
アマ無線パケット通信網ではアマチュア業務のみ回線が使用可能で勿論商用で使うデータ転送には利用できませんでした。飽くまでも「通信技術の実験」「趣味の範囲での利用」が前提。
大体、転送データ丸見えの回線で重要データなんて送れませんからねw
(法的に暗号通信は禁止になっていたので)
 
モバイル運用は98Note以前から!
私の方は「モバイル運用」は98Note以前からやっていて「歩いて」と言うより車で移動してが中心でしたが、なんともデスクトップパソコン(PC-8001MK2)にCRTモニタを車に積んでやっていました、見知らぬおじさんからは「西部警察みたいだなや(笑w」と称賛(馬鹿にされてんですw)されたり一寸恥ずかしかったですw
初期型のパソコンは通信機能は当たり前のように付いているのですが、困ったことに漢ROMが無いと「漢字が使えない、見えない」漢ROMが搭載されていても200ラインモニターでは途切れて使えない(400ライン以上必要)等制限もありました。
もう、漢字が見えない環境ではRBBSすらアクセス出来ない時代がやがてやってきます。
イメージ 3
そこで考えたのは、通信機能(RS232C付き)付きワープロなのです98Note以前から多数有ったのですが、結局選んだのはもう一つのNote、
EPSONの「WORD BANK Note」なのです!写真は同シリーズのⅡで新しい物ですが、私のは初代の物ですデザインはほぼ同じです。
当時のパソコンには無い機動性と、漢字を交えた文書のやりとりは出来ます。
これで、「西部警察」張りの?w私のAE86もスッキリ!
EPSONの98互換機はチョットアレでしたが,,,,,,,(^^;;
ワープロ専用機に関しては魅力的な物も多く、私もCASIOの安もんワープロからWordBank LXに乗り換えました、RS232Cが「ボソ.....」っと付いていて私も直ぐに「ムムムムム、こ、コレは!!」案の定「通信機能」でしたw勿論、NiftySeverもバッチリアクセス出来てフォーラムの閲覧も普通に出来ますし、パケット通信の漢字端末としても活用出来ましたしね。
WORD BANK NoteはLXと共にモバイル運用では重宝しましたね、Noteの方は歩きながらのモバイル運用も可能にしてくれるアイテムでした。
他にNECの文豪MINI何かはMS-DOSが動いてしまうワープロとして人気を博していたのを覚えています。
でもワープロ専用機だと何か物足りないんですよね、98シリーズのような画像通信は出来ないし....
 98Noteが出るまでは、その地域のローカルRBBSのアクセスやチャット位しかできませんでしたが、発展途上な事を実験をする事に意義があるんですw
このパケット通信阪神淡路大震災時、当時はインターネットも発達していない中でこのモバイル運用で、全国転送型RBBSと連携で情報伝達手段として大活躍しました。
 
「発展途上」時代こそ楽しい時代なのです
これから発展するであろう「発展途上」時代こそ今思えば「楽しかった」と思いますモバイル運用も完成形の今、楽しいとは思いません「日常的なこと」になってしまいました。これは、自作PCにも言えることで昔は新しいCPUやアーキテクチャが出る度に「驚き」が有りましたがPCの性能も頭打ちの今ではどうでしょ?
「古くなったから更新する」程度に止まり、新CPUが出ても前世より性能差はある物の僅差...「必要なす」「無駄」と言う考えが先に立ってしまいますよね?
このマンネリ化を打開する為にもAMDにもっと頑張ってほしいのです!(Ryzenで頑張りましたね(^^;)それよりも、PC自体は個人では必要ない時代、スマホだけで済んでしまっている時代になったと言うのも面白くなくなった理由ですね。
そんな私も、PCよりもスマホの方が使用頻度が高いと言うことが最近多いです。
ゲームだってゲーム音痴の私ですらPCゲームより単純で十分楽しめますし、だったら...
あんな高いグラボ要らないんじゃない??となりますが、PhotoShopのフィルター処理でもグラボを使う場面があるので付けてます。
あ、マイクラ程度なら暇つぶしでやることもあります(オーバースペックw)
後は、見栄かな?(爆w こんな人私だけでは無いでしょ??(^^;